大腸がん(31年前)から膀胱がん(今年)の手術歴

10. 大腸がんの診断と手術まで
 私は、1986年5月(31年前)に、国立がんセンターで大腸がんの手術を受けた。私はそれまで、便秘気味であったが、特に、「水が変わると便秘」になる「よく有る体質」であった。手術の丁度1年前、1週間程度のオーストラリア出張があった。その時も便秘になり、帰国後に、目視でも明らかな血便がでた。
 当時は、世の中にまだ、内視鏡そのものが無かった。近所の掛りつけの胃腸科に「大腸レントゲン(バリュウム注腸)」があったので、撮影してもらった。週に何回か放射線技師が来ると聞き、予約した。検査は、バリュウムを肛門から注入して、X線を照射して写真を撮るものだ。その写真を見て、開業医に「がんは無い」と診断された。私から大きい病院に見てもらいたいと紹介状を貰い、そのX線画像を借用して、比較的近い医科大学の診察を受けた。その画像を見た医師も「がんは無い」との診断となった。
 その半年後も「血便」が続くので、周りに「真っ赤な血の付いた便」を開業医に持って行き、外部の検査機関に検査を依頼してもらった。その開業医は、提出した便には、一目もせずに、検査依頼書に検査項目を沢山書いた。「ガンジダ菌」なども書かれていた。その検査結果は「全て陰性」であった。
 更に、半年経ち、妹に勧められた別の病院の検査結果から、国立がんセンターを紹介された。そこでは、ポリープの様に突出しているがんは、一般のバリュウム注腸で検出できるが、扁平ながんは検出できない事があると「二重造影法」が研究されていた。この造影法は、注入したバリュウムを肛門から排出した後で、もう一度、X線造影を行い、バリュウムが残っている所のがん疑う方法である。
 この二重造影法で、私のS状結腸に4cm位の扁平がんが見つかった。当時、がんセンターに大腸手術医が2人おられた。ベテランの医師は、肛門まで切除し消化器系ストーマを作る治療が中心で、一方の若い医師は、できるだけ肛門を残し、ストーマを作らない方針であった。運よく手術は若い医師の担当となった。手術は臍の少し上から、臍を迂回して、ベニスの直ぐ上まで、15~20cm開腹して、S状結腸を25cm切除し、肛門から8cm位の所で縫合した。その後の療養を含め、入院期間は26日であった。
 その後の、術後検診で抗がん剤治療を勧められたが断った。入院中にがん関連の書籍を沢山読み、抗がん剤の怖さを知ったからだ。当時、認可されていた抗がん剤は全て、正常細胞にも副作用があり、脱毛は避けられなかった。(実は、現在もあまり変わっていない様だが!)
また、当時は、身体の部位に関わらず「がんは全て同じ」と考えられており、新しく開発された抗がん剤は、まず、白血病に有効であることを証明(治験)しなければならなかった。いろいろながんに効果があったとされる「丸山ワクチン」は、白血病に有効でなかった為に認可されなかった。手術後検診は、10年目で終わったが、医者から「抗がん剤を使わなかったのは正解だったね!」と褒められた。
その後、ストーマを付けずに、30年間を有効に生きて来られた。テニス・ゴルフや社交ダンスからスクエアダンス・ラウンドダンスを続けて来られた。この度、40年続けてきた近所のテニスクラブを退会したが、尿路系ストーマを付けた事より、私がクラブ会員の最高齢に近く、ダブルスのパートナに迷惑がかかるだろうと言う理由からだ。
当時、がんの5年生存は「まれ」と信じられていた時代で、仕事の方は「楽な仕事か?」と子会社の技師長と言う閑職となった。その間に独学で学んだコンピュータ・プログラミングは、その後の仕事や趣味に有効に生かせた。その中でも、20年前に作った「コントラクト・ブリッジ・戦績データ集計ソフト」は、近隣の複数のブリッジクラブで、現在でも便利に使ってもらっている。
 
11. 膀胱がんと前立腺がんの診断と手術
 私は、10数年前から「PSA」の検査を毎年行い、また、血液検査による「5種がんマーカー検査(健康保険適用外)」を2年に1回受けてきた。「PSA」は、10年前の当初から規定値の4.0前後であった。5種がんマーカーは、PSA以外陰性(膀胱がんのマーカーは無いらしい)であった。
2012年4月にPASが6.4となったので、近所の開業医から精密検査を勧められた。精密検査は一般に、前立腺生検が行われる。生検は肛門の奥の直腸から、細い針(普通16本)を刺し、細胞を採取して、採取した細胞を顕微鏡で検査する。1泊2日が多い。
私は、MRIでも前立腺がん検診できるとの画像検査専門機関の情報を得た。電話で問い合わせると、泌尿器専門の医者からの紹介のみ受け付けていると聞き、神田の開業医を紹介してもらった。その開業医の触診(医者が肛門から指を入れて、前立腺をぐりぐりとさわり、しこりの有無を調べる)で、左の前立腺の肛門際に7mm大のしこりが見つかった。その開業医では、日帰りの簡易生検(針6本)ができるとの事で、生検を受けた。左のしこり付近の細胞を主に検査した結果、「腸の細胞と繊維と脂肪」で、前立腺癌では無いとの診断であった。一方、折角の紹介であるからと画像検査専門機関のMRI検査の予約も取ってもらった。
画像診断専門機関から、でっかい画像フィルム数枚と、左前立腺に7mm位の影と膀胱に2cm位の影があるとの診断書が送られて来た。私から「手術も可能な病院での再検査」を希望し、S病院の泌尿器科を紹介してもらった。紹介状には「前立腺生検の結果、経過観察とする」と記載されあった。S病院でも、紹介状とMRI診断書を見て、「経過観察で良い。終わり!」となった。私も当日まで気が付いていなかったが、待合室で診察直前に、MRI診断書を見て、「膀胱がん」の記述も見つけていたので、「膀胱がんの方は?」と聞くと、泌尿器科医は慌てて再度読み返して、膀胱鏡検査をしてくれた。モニターには、先端がゆらゆらしているイソギンチャク状の異物が映っていた。診察の結果は比較的良性(転移が少ない意味)と思われる尿路上皮細胞がんと診断された。その結果、2012年11月の手術と決まり、手術は経尿道的膀胱鏡手術(TUR)で、膀胱がんを根元から切除し、入院4泊5日と決まった。その時、「ついでに」と前立腺生検(針16本)も行うとの事になった。
手術は順調に終わった。当日は麻酔による肺塞栓(通称:エコノミー症候群)を予防する為に、両足に空気ポンプを付けられてベッドから動けなかったが、翌日からは、術後の痛みもなく、通常の生活ができた。
前立腺生検の結果は、前立腺左葉にがん細胞が検出され、その内の3本は「グリソンスコアが4+5=9」(細胞を染色して、顕微鏡下でその大きさと形状から診断する値)と悪性度が高いそうで、ホルモン注射(リュープリン)と放射線治療を勧められた。
膀胱がんの方は、2ヶ月後の2013年1月に、再度4泊5日のセカンドTURを受けた。この手術は前回切除した膀胱がんの根っこの部分を更に薄く切取り、癌細胞の取り残しが無い事を確かめる検査的な手術(国の標準的治療)である。私の診断は陰性(取り残しは無い)だった。

12. 前立腺がんの治療
 2013年1月にリュープリンの注射をし、前立腺の放射線治療の具体的な日程を調整した。リュープリンは、現在でも前立腺がんの標準治療となっているが、簡単に言えば「にせ男性ホルモン」と言える。男性の精巣(睾丸の中で精液を作っている所)、脳の視床下部、腎臓の上の副腎皮質などで、男性ホルモンを生成しており、前立腺を刺激してPSAを生成している。男性ホルモンと構造が似ている薬(リュープリンなど)を注射すると、男性ホルモンは充分にあると身体が勘違いして、本物の男性ホルモンの生成が止まる。私の場合も、その後、PSAは0.3以下に下がった。医者によっては「前立腺がん」が完治したと診断する場合もある。しかし、PSA自体は、性交時に射精された精液に混ざって、膣の中で固まるのを抑え、中の精子が輸卵管を通って、卵巣付近に到達するのを助け、妊娠の確率を上げる作用をする物質で、前立腺がんが小さくなったとか完治したとかの指針にはなっていない。
 実際に、男性ホルモンのテストステロンも下がり、性欲や勃起力も低下するが、副作用としての「ホット・フラッシュ」が不快であった。この現象は女性の閉経後にもあるらしく、ある女性が「ひやひや・ぽっぽ」と表現していた。
 2013年3月に、神田の開業医に紹介状を書いて貰って、「PET画像診断」を受けた。「PET」は半減期の短い同位元素を組込んだブドウ糖を注射し、そのブドウ糖が成長力の旺盛な器官に集まる性質を利用した画像診断で、がんの場所を赤い色で示してくれる。元々ブドウ糖の消費が多い器官(脳、心臓)やブドウ糖の排泄経路(腎臓、膀胱)のがんは検出できない。放射性同位元素を含むブドウ糖は、放射性崩壊を起こす時に、180度方向に同時に放射線を出す性質があるそうで、180度方向に設置したセンサーで同時に検出した時の位置をいろいろな方向から集計したデータを画像化したものがPET画像である。私の検査では「前立腺でのがん細胞の増殖は認められない」との診断であった。
 その結果で、2013年4月から予約してあった前立腺の放射線治療を断った。この放射線治療は、40日間通院して、1日2グレイ(放射線量の単位)、合計80グレイを患部中心に、いろいろな方向から照射して、患部の細胞を死滅させる治療法である。欠点は、近くの直腸や膀胱にも多少は照射されるので、最悪の場合は、それらの臓器に穴が開く事がある。また、週5回として、2ケ月間通院して、治療台で放射方向を慎重に設定し、数秒位照射する治療である。患者の方は、その間、半日以上潰れる負担は大きい。
 1月に受けたリュウプリンは、3ヶ月有効な注射であったが、PET検査の結果を知り、3ヶ月後の再注射は断った。それでも、半年後までも、ホット・フラッシュが続くので、以前診察してもらった神田の開業医にお願いして、男性ホルモン(テストステロン)の注射をしてもらって、ホット・フラッシュは楽になった。この注射はED(エレクト・デフェンス)、つまり勃起障害の治療に使われている薬で、76才以上は、健康保険が適用されず、自費負担(1500円)となった。一方、一旦下がったPSA値は、数ヶ月後には、ほぼ元の値に戻った。

13. BCG膀胱注入療法と副作用
その後、2013年6月に、「BCG治療」を受けた。膀胱がんは、再発率が非常に高く、術後50%の人が再発するそうだ。「BCG治療」を行うと、再発率が20%に下がるらしい。この「BCG膀胱内注入療法」は、結核予防の注射と同じワクチンであるが、それを生理食塩水で薄めて、膀胱に注入し、1~2時間後に排出する。これを通院で、週1回ずつ6~8週を1クルーとして行う。何回目からかは、免疫細胞が活性化して、手術時に散らばったがん細胞を退治するとの様だ。しかし、その際に、炎症が起り膀胱炎症状に苦しむ人も多く、副作用の中には「膀胱萎縮」もある。その最初の例が、1998年に大阪府立成人病センターから報告されている。
私の場合は、週1で6回の1クルーのみであり、最後まで全くの無反応であった。しかし、2年後の2015年8月の検査入院時の膀胱細胞の生検で、がん細胞が見つかり、また、膀胱壁が「硬くなっており、膀胱萎縮の傾向が見られる」と診断された。その診断の結果で、なぜか、再度の「BCG治療」を勧められたが、無視した。
「BCG療法」も、過去に治験が行われたはずであるが、私がネット等で調べたが見当たらなかった。一方、BCG療法の副作用が大きい事と効果を疑問視する声も多く、2011年7月にJCOG(日本臨床腫瘍研究グループ)が、「BCG膀胱内注入療法と無治療経過観察のランダム試験(治験)を行う」と発表されている。登録期間:5年、追跡期間は登録終了後5年、総研究期間は10年との事である。最終報告書が発行されるのは2022年頃と思われる。

14. 膀胱がんの再発
 2013年5月のBCG治療から、4ヶ月毎に膀胱鏡検査を受けて、1年間、特に問題がなかった。2014年6月頃から、頻尿や排尿痛、切迫性尿意があり、別途、近所の病院からベタニス錠(過活動膀胱治療薬)を貰っていた。しかし、2014年9月の定期の膀胱鏡検査で、膀胱内に「むくみ」が見られた。その時の洗浄水の生検で、膀胱がんクラスⅤ(がん)と診断された。一方、神田の開業医から外部機関に委託した3回の「尿細胞診」では、クラスⅢb(擬陽性)とクラスⅣ(陽性)であった。尿細胞診は、採取した尿から遠心分離機で、固形質を抽出して、顕微鏡で観察する方法と思うが、かなり主観的な検査かとも思う。以下に、受診した6回の細胞診の結果と所見を列挙する。
① 2014年9月22日(S病院院内病理);ClassⅤ(がん)
「主に孤立散在性、一部小集塊状に多数の異形尿路上皮細胞を認めます。N/C比高く、核腫大、クロマチン増量、核形不整など目立ちます。尿路上皮細胞がんを考えます。」
② 2014年12月19日(S病院院内病理);ClassⅤ(がん)
「炎症性背景にN/C比高く、クロマチン増量し、核形不整、核の大小不同みられる異形尿路上皮細胞を孤立散在性~小集塊で認めます。尿路上皮がんを考えます。」
③ 2014年12月23日(病理細胞診センター);ClassⅢb(擬陽性)
「出血性背景に、比較的小型ですがN/C比が高く核クロマチン増量や核形不整の見られる異形尿路上皮細胞が認められます。」
④ 2015年1月20日(病理健診センター);ClassⅣ(陽性)
「核種大、核濃染、核形不整を示す尿路上皮由来の異形細胞を、孤在性および集塊状に認めます。」

⑤ 2016年7月12日(病理健診センター);ClassⅢb(擬陽性)
「炎症性背景に、N/C比高く、クロマチン増量、核形不整を示す変性した異形尿路上皮細胞を小集塊及び孤立散在性にてみとめます。」
⑥ 2016年12月6日(病理健診センター);ClassⅣ(陽性)
「N/C比高く、核濃染、核形不整を示す異形尿路上皮細胞を、孤在性や重積性集塊で認めます。」
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 上記の様に、所見の文章は、素人には難解な表現の上、殆ど差異が無いのに、診断結果は様々であった。うがった見方をすれば、手術ができる病院の院内病理では、「見落とし」を嫌い、「厳し目」で判断し、例えば、その後の手術し「がん取れて良かったですね!」とかで終わるかもしれない。手術後の細胞診も同じ院内病理で行うので、同様な「厳し目」の診断で、病院の手術成功例を増やす可能性もあるのでは?(あくまでも、うがった見方だが)
 そんな事で、別の診断方法が無いのかと、ネットでいろいろ調べた所、ナロービーム診断の治験が行われている事を知った。2015年8月16日に、息子の結婚式があるので、後記する検査入院を8月17日に予約した。
 その間、私の尿障害には、波があった。実際にはその前から紙おむつを着用していたが、漏らしてしまう事は、数回しか無かったと記憶している。
 しかし、息子の結婚式の時は最悪であった。1日前の15日に、二見ヶ浦に泊まり、翌朝、猿田彦神社で結婚式を挙げ、伊勢神宮内宮に行った。この伊勢旅行が私の切迫性尿意のビークで、150cc位の尿が溜められる「軽快薄型紙パンツ」を履いていたが、数10分毎に来る切迫性尿意で、1回に数10cc漏らす事になってしまった。幸い、真夏で汗もかいたので、朝に宿を出てから、宇治山田駅で帰路の予約列車を待つまでの間、人に知られず、紙パンツの交換もせずに、何とか間に合った。


15. 膀胱がんの検査入院
 ナロービーム診断とは、食道がんなどでは、既に、広く実用化されている。内視鏡のモニターで、通常の光で見ている時に、発色幅の狭いビーム(鼠色に見える)に切替えて、濃く映る場所をがん細胞と診断する方法である。広島大学や札幌大学などが先駆者で、近隣ではS医大国際医療センターで行われている事を知った。
 早速、神田の開業医に紹介状を書いて貰い受診した。S医大病院は遠く、最初の通院は、自宅のたまプラーザから田園都市線で溝の口、南武線で立川、五日市線で拝島、八高線で高麗川(こまがわ)、高麗川から国際興業バスで10分であったが、朝の通勤ラッシュと重なり大変であった。2回目は、たまプラーザから反対方向に乗り、田園都市線で長津田、横浜戦で八王子、八高線で高麗川のルートを使った所、通勤方向と逆向きで、楽に全部座れた。後者の方が1時間40分と所要時間が10分ぐらい長いが、空いていて快適であった。
 S医大国際医療センターは、大学病院では、初めて「JCA:国際病院評価機構」の認定を受けたそうだ。建物内画像は広く立派で、入口を入ると高さ30m位の巨大な吹抜きがあり、正面に宗教的な聖なる画像があり、その下のグランドピアノが粟粒位に小さく見えた。
私は、包括がんセンターの泌尿器科を受診したが、診察室が24ヵ所もあった。診察受付をすると小さな端末を持たされ、診察の少し前に端末に連絡が来るので、院内の何処で待っていても良いとの事であった、医療設備も豊富で、例えばMRIも4台はあった様だ。また、病室と手術室への通路は、一般患者の通路と完全に分かれており、衛生的にも完璧であった。
2015年8月5日に、包括がんセンター・泌尿器腫瘍科で初診を受けた。主治医が1時間以上にわたり、今までの経過や病状について、優しく細かく聞いてくれ、信頼できる先生と感じた。8月7日にはMRI検査を受け、8月17日(月曜)入院と、とんとん拍子に決まった。
入院当日の8月17日12時過ぎに病院に着き、最初に、1階の入院受付センターに行った。病院は広々として立派なのに、1階の入院受付センターだけは、小さく30人位待っていて、待合室の席は一杯で混雑していた。外のロビーの方に待っている人もいた。病院の呼び出しは、人手で呼び出していた。1時間以上またされた上、手続きの途中で、入院保証金(一般:5万円、差額ベッド:20万)が足りなくなり、院内のATMで現金を引出し、持って行ったが、7ヵ所位の受付処理コーナが一杯で、中々続きの処理ができなかった。やっと、病室に入ったのは3時間後の午後4時過ぎとなった。
この病院は、外国のセレブな病院をモデルにしたのだろうが、セレブの病院ではクレジット(信用保証)入院できるのに、皆保険の日本では「あくまでも入院保証金を取るまでは病室に入れない」とか、貧乏人気質がでてしまったのだろう。
 翌8月18日の手術では、手術台に上がり、腰椎麻酔を受けると、下半身の感覚は、無くなった。一方、全麻酔はなかったので、部屋の音は全て聞こえた。医師と看護師との会話や医療機器の「ピポピポ」などの音が聞こえた。手術の準備が終わり、膀胱鏡がペニスの先から挿入されるとモニター画面に、自分の膀胱内が映った。頭の斜め後ろであったので、首を傾けて見ていた。膀胱鏡の先端からピンセットの様な物体がでてきて、細胞をつまんで引張ると、そこの細胞がちぎれ、パアッと血が噴きでた。それから、虫取り網の様な物体がでて来て、その細胞を回収していった。小一時間の手術で、20個の細胞片を取ったと聞いた。この手術中、ナロービームの照射は一度もなかった。
 病室に戻り、足に例の「エコノミー症候群防止の機器」が取り付けられた。夕方遅く、夕食がでてきた。昨夜から絶食が続いていて、空腹感が強かったので、全部食べたところ、しばらくして、私の持病の一つかもしれない「心室性期外収縮」が始まった。今回は10回/分といつもよりもひどかった。医者を呼んでもらったが、「来る来る」と聞いていたが、結局来てくれなかった。しかし、2時間ぐらいで治った。多分、急に胃が膨らみ、心臓を圧迫したのが発症の原因だろう。心室性期外収縮は10年位前に、ヘビー・スモーカーと会社の狭い仕事部屋で同室した時、生まれて初めて発症した。早退して、近所の大学病院で「ホルター心電図」を付け、24時間後に解析してもらった事があった。結果は「680回/日」で、この位では「問題なし」と言われていた。
3泊4日で退院できる予定であったが、血尿がひどく、結局4泊5日で退院した。2週間後の診察では、「細胞診の20ヵ所中3ヵ所に膀胱がん」が見られると診断された。また、入院中の医師回診の時、「BCG治療による膀胱の硬化(膀胱萎縮)が見られる」との話も聞いた。
「ナロービーム」が使われなかった件は、現在まだ治験中で、治験の条件が「膀胱がんの他に別のがんが無い事」となっていた為の様だ。紹介状に「膀胱がんの他に前立腺がんもある」と書いてあり、治験の条件が合わなかった為と判った。今後の治療方針も再度の「BCG治療」であったが、無視することにした。

15. 切迫性尿意が治っていたその後の1年半
 実は、検査入院の結果、切迫性尿意が治った。その理由は不明であるが、尿道括約筋の近くにあった小さい炎症が、膀胱鏡との擦れとか、検査時の消毒液で洗浄された為かもしれない。
 その後、頻尿や排尿痛もあったが、鎮痛薬のロキソニンを服用しながら、殆ど普通に生活ができる様になった。テニス・スクエアダンス・コントラクトブリッジのサークル活動も特に問題なかった。スクエアダンスは、上級3回/月、クラブ例会4回/月、コントラクト・ブリッジ10回/月、テニスは火曜日の定休日と雨後でコートが使えない時以外は、テニスコートに行き、結構多忙であった。
 紙パンツも必要なくなったが、その後も使っていた。1枚50円位と安い上、乾燥剤が入っている為、股間が蒸れなくて、むしろ快調であった。
 膀胱がんの方は、元のS病院で、6カ月毎のMRI検査に変わった。この検査では、2012年9月のMRI画像と比較し、変化を経過観察する形をとった。2015年11月、2016年5月と1年半「変化なし」であった。
2016年11月のMRI画像で、膀胱がんが膀胱の筋層を破り、前立腺への浸潤を疑う病変が見つかった。12月20日の担当医の診察で、「来年春には膀胱全摘手術を行うので、次回の1月18日の診察で手術日を決めよう」となった。
2017年正月は、天気も良く、平穏に暮らせるはずであった。大晦日から泊まっていた娘と孫が2日に戻り、やっと3日にテニスに行った。3日は休日扱いで、いつもの下手なグループの仲間がいなかったので、結構、走らされて疲れて、帰ってきた。4日の朝、排尿した時、一寸した?1滴の血が尿に混じっていたが、気にも留めずに、テニスコートに行った。当日は快晴であったが、まだ、年初なのかいつもの仲間が4人そろわなかったので、下手2人(金田・菊池)と上手(鷹取・古屋)とが別れて組んで試合をした。我々の組が5-4とリードして、チェンジコートになり、北側の眩しいサイドに変わった。相手は眩しいロブ(太陽安打)を多発し、5-6で負けてしまった。私のクラブでの最後、80才358日目の試合となった。
 午後に家に帰ってから、血尿が出始めた。病院に電話して1月6日(金曜)の予約が運良く取れた。当日の診察では、「手術は極力早くした方が良い」と言われて、2月28日(火曜日)に決まった。手術までの間、血尿が止まれば何をやっても良い。テニスもOKと言われ安心してしまった。この日は、トランサミン(500mg)とアドナ錠(30mg)と言う止血剤を処方してもらった。病院の前の薬局で処方薬を購入して、その場で服用して「やれやれ」となった。
翌日、血尿も止まったので、夜のスクエアダンスの例会に参加したが、帰宅後から血尿がぶり返してしてしまった。その後、血尿が2~3日毎にぶり返しテニスどころでは無くなった。1月11日の夕方には、血の塊が膀胱の出口に詰まったためか?膀胱に尿が残っているのに、途中で止まってしまった。病院の担当医が丁度当日の外来診療日であったので、泌尿器の受付に電話で問い合わせた所、すぐに「救急外来で診察下さい」との事、車で約1時間の病院に急行した。救急外来の受付手続きをして、1時間後に当直の泌尿器科医の診察を受けた。診察室の小さなベッドに仰向けになり、ペニスの先からビニール・チューブを入れられると、やっと膀胱の尿が出て楽になった。その後、膀胱に洗浄液を注入しながら、超音波画像を見て、瘡蓋(かさぶた)の様な物が浮かんでいるとの事で、何回も洗浄液を入れられた。結構、苦しかったと記憶している。
 予約していた1月18日(水曜)の診察の前に、入院前検査を行った。血液検査では、梅毒・エイズ(HIV)・肝炎ウィルスなどが、また、胸と腹部のレントゲン撮影では結核や脊椎カリエスなどの検査であった。
泌尿器科の診察で、手術方法が伝えられた。当日はダビンチ(手術ロボット)が別の手術で使っているので、腹腔鏡手術(下腹部に3ヵ所の小さい穴を開けて手術を行う)で、膀胱と前立腺の全摘を行い。その後、お臍の右側を10cm位開腹して、回腸を20cm切取り、後端に左右の尿管をつなぎ、前端をお腹からストーマとして出す手術との事だった。まだ、血尿が続いているので、先生は忘れていが、私の方から止血剤の処方を要求した。
2月になり血尿の頻度が減少したので、ラウンドダンスの例会にはビジターとして参加した。また、スクエアダンスのサークルでは、前年4月から3月までの年度で、私が会計監査を担当していたので、会計担当が集計した会計報告を監査した。3月18日の総会は、私が手術入院中なので、3月から休会とした。
2月10日に骨シンチ検査を受けた。前立腺がんは、骨に転移しやすいので、骨に集まりやすいカルシュウムの同位元素を注射して、放射線画像で、その集積を検査する。
2月15日(水曜)に、泌尿器科の診察があり、感染症関係は全て陰性、骨シンチも問題なしと、2月27日(月曜)入院、28日手術と決まった。入院期間は3~4週との話だった。

16. いよいよ膀胱全摘・回腸導管手術
 2月27日(月曜)の入院当日は、泌尿器科の担当医の回診があり、翌日の手術の主な説明があった。また、病棟の看護師から地下の売店で、コーチ2、テープ止めタイプのオムツ、ワンウェイガーゼを購入するように言われた。
画像コーチ2は肺機能を訓練する機器で、肺の空気を極力吐出した後、左写真の吸口から息を吸い込んで、その吸気量は計る玩具の様な物であった。術後の肺機能回復の為、説明書には「1時間に数回行え」と記載されていた。昼食は病院から提供されたが、夕食からは絶食となった。夜の9時までは飲料の制限はないが、9時以降は水のみとなった。
 2月28日午前9時の手術開始までに、部屋担当の看護師と別の階の手術室まで行き、手術室の担当看護師に引渡された。手術台に上がり、硬膜外麻酔が行われた。本番の硬膜外麻酔の前に、その挿入場所のそばに痛み止めの注射をするので、硬膜外麻酔は「何か、「背中の脊椎の中に太い物」が入る感じはあるが、特に痛みはなかった。その後、全身麻酔が行われ、手術終了後(7~8時間後)まで、意識はなかった。
 手術終了後、午後4時半頃に目覚め、手術用の担架から、4人がかりで持ち上げて、病室用の担架に、移し替えられる時は、上半身に強烈な痛みが走った。「血圧が低めで、血圧コントロールが必要」とかで、たまたま空きがあった手術室の隣のICUに入ることになった。
 ICUに入る前に、担当医からの説明があった。「腹腔鏡手術の予定で始めたが、前の大腸がんの手術の後が癒着していたので、すぐに開腹手術に切替えた。直腸付近の癒着が特にひどく、そこを剥がすと腸に穴が開いたので、消化器の医者とも相談して穴を縫い合わせた。膀胱と前立腺の全摘と回腸導管手術は成功した。そんな事で、6時間半から7時間の大手術となった。輸血は行わなかった。」などの説明であった。同じ事は、私が麻酔から覚める前に、家族を呼んで話してあった様だ。
 手術後は、背中の硬膜外麻酔の点滴機器、首の多目的点滴管、排尿管、足の肺塞栓症予防器具と身体中が管だらけだった。
 時々、ギックリ腰の様にギクッとなった後、上半身に10秒位痛みがあった。それが腹筋を動かした時に起きると判ってきた。もちろん、寝返をする時、長く話をした後など、横隔膜を動かし腹式呼吸をして息を吸い込んだ時、しゃっくりがでた時などだった。
 ICUは、患者2名に1名の看護師が担当する制度で、ナースコール・ボタンの他、大きな声を出すと聞こえる範囲にいてくれた。担当看護師は珍しく若い男性であったが、親切にしてくれた。その夜は、絶食の上、水分補給も制限されており、時々、口を潤すために、氷の塊を口に入れてくれた。また、私の状況を理解してくれて、寝返りの時も腹筋に力を入れずにできる方法を見つけてくれた。そんな事で、その夜は一睡もできずに、長い夜を過ごした。「眠れない夜が長い事」を初めて知った。
 翌朝、早速、昨日の手術の麻酔を担当した医師が来てくれて、2時間位つききりで面倒を見てくれた。お腹のいろいろな所をさわり、感じるかどうかを繰り返したりした。結局、胸骨と腰椎の間に挿入していた硬膜外麻酔の挿入位置を1椎下に移すとの診断になった。その後の私の推察では、腹腔鏡手術の予定を急遽、開腹手術に変更しので、下腹部の腹筋を予定外に、より下まで開腹したので、その部分の麻酔が効いていなかった様だ。午後には、2名の看護師が来てくれて、全身の体をタオルで拭いてくれた。20分位時間がかかったので、その間、趣味の話など楽しく会話した。
夕方、ベッドのまま、病院関係者専用のエレベータに乗り、6Fの病室に戻った。手術中にストーマ装具が付けられていた様だが、病室に戻って気が付いた。ベッドでも、全身に管などが、がんじがらめに、接続された状態であった。腕先には患者識別番号、背中には硬膜外麻酔剤の点滴の管、首には点滴の針、ストーマ装具の先にはウロバッグ、両足の太ももには肺塞栓予防用のパッドである。また、ベッドサイドには、ナースコールのボタン、硬膜外麻酔の増量ボタン(患者の意思で増量できるが、1回増量するとその後30分間は増量できない)などであった。
幸い両手が動かせるので、サイドテーブルをベッドの上に持ってきて、時計やテレビのリモコン、室内の照明リモコン、ペットボトルの飲料などを置いた。腹筋を使って身体を起こすと痛むので、寝たままで、手探りで取れる様に配慮した。
看護師があいさつに来た「今夜、担当するxxです。よろしくお願いします」と。夜勤は午後6時頃に引継ぎし、翌朝の8時過ぎに引継ぎするまでの14時間勤務とは大変だ。深夜に数時間の仮眠・休憩があるようだが、それにしても大変だ。定常的に残業しているのだろうか?
看護師は、時々、パソコンを乗せたワゴンを引いて、病室に入ってくる。定時検診だ。まず、腕の患者識別番号のバーコードをスキャンし、生年月日とフルネームを言わされる。それから、体温・脈拍・血圧・血中酸素飽和度(洗濯ばさみの様な物を指の先に挟んで計る)を入力する。この検診時刻は術後の日数とか患者の容態によって異なるので、パソコンに詳細(分単位?)な指示が入っている様だ。また、昼にお願いした薬の事なども、夜の担当にしっかり伝わっているので、引継ぎ時の他、パソコンにもしっかり残されている様だ。
看護師達は、いつもニコニコと口角を上げて挨拶し、丁寧な言葉で対応してくれる。良く教育・訓練されている様だ。深夜にナースコールしても親切に対応してくれる。ナースコールは看護師が常時ぶら下げている専用の端末に届くそうで、どこに居ても直ぐに返事をしてくれる。
病院には、看護師以外に多くのスタッフが働いている。食事運搬スタッフ・掃除専用のスタッフ、ごみ回収スタッフ、タオル交換スタッフ他、退院後の空室は、専任男性スタッフが清掃・消毒いていた。
 ストーマ装具は、ツーピース型が付いていた。ストーマからは赤青2本のステントがでていて、左右の腎臓から尿管を通してつながっている様で、尿が時折、そのステントからでていた。看護師は指定されている所定の時刻に、ツーピースのストーマ装具の袋側を外して、ステントからの尿の出方をチェックしていた。もし尿が止まると腎臓に負担がかかるので医者に報告している様だ。
 大便の処理も看護師任せなので、紙おむつは、テープ止めタイプと称する前で開いて横から取り出せるタイプだった。10枚1400円と一寸高めだ。
 手術の翌々日には、歩行訓練を行った。その前に、うさん臭かった肺塞栓予防用の器具が外され、ウロバッグや首の点滴のパイプなども一時的に外されて、硬膜外麻酔の点滴用のスタンドのみを押して、2人の看護師に付き添われて、病室をでた。病棟の廊下を1周したが、欲張ってもう1周した所、病室に戻る直前にふらふらして、付添いの看護師に助けられ、車いすに乗せられて、病室に戻った。歩行訓練の間は、付き添ってくれた看護師と趣味の話など、いろいろと話ができた。歩行訓練の時は、毎日が話ができるかと期待していたが、4日目からは、「1人で歩いて良い」と、看護師の付添いは無くなってしまった。
 手術から5日目に、病棟内の廊下の距離を測定した。歩数で160歩、1歩70cmとすると、約100mであった。この日は6周したので、600m歩いた事になる。
  土日を除く毎日、泌尿器科の医師全員の回診があった。研修医を含めて、7人から10人である。驚いたことに、朝の回診は決まって7時15分頃であった。7時には、泌尿器科の診療棟に集まり、別棟の入院病棟を廻るのだろう。夜の回診は大体5時半であったが、手術の終了時間が遅くなった時は、6時半頃になった事もあった。医師達も、結構な長時間労働で「大変だな!」と思った。

 第2週:3月6日(月)、手術から6日後の朝の回診で、背中に刺さっていた硬膜外麻酔を外し、首の栄養剤の点滴も終わった。その日の朝食から流動食がでた。1週間の絶食後であり、半分位食べた。身体には、首に点滴用の針は差し込まれ、ぶらぶらしたままだが、今日は、その先の管と点滴袋は付いていなかった。11時頃に1階のレントゲン室まで車いすで連れて行ってもらった。昼食後に気持ち悪くなり、夕方に吐いた。軽い腸閉塞だったのか?夕食は摂れなかったが、翌朝には治った。
 3月8日(水):朝の回診で、首の動脈の点滴針が外され、高圧止血止めと言う大きな絆創膏を 半日間貼られた。身体に繋がれている物がなくなり、持参したPCで遊んだ。麻雀を半荘2回やったが、最初の半荘は大きく勝ち越せた。昼食から「スタート食」と言う、お粥と形のあるおかずに変わった。お粥は食べにくかったが、流動食よりまだましだ。魚などのおかずもあったが、柔らかくても荷崩れせず、美味しかった。
 3月9日(木):お腹の抜糸を行った。最近は糸ではなく、ホチキスの様な金属で、抜かれても殆ど痛まなかった。こんな所にも医療の進歩があるのかと、感心した。この日から、軟便にも苦しんだ。便意があると5m先のトイレまで間に合わずに、オムツを汚してしまった。今は自分で交換するので、パンツ型の軽快薄型パンツにした。夜中に1時間毎位に4回もオムツを汚し、前日からオムツを8枚も消費したので、地下の売店に一人で買いに行った。
この排便の問題は、退院後も数ヶ月続いており、退院後の外出活動に影響する事になった。大腸の癒着を剥がした影響で、直腸付近の便の排出能力が落ち、便が肛門から出そうになるまで待って、やっと出た時には、近くのトイレまで待てない現象の様だ。
 3月10日(金):11頃ストーマ交換を行った。殆ど自分で行えて、褒められた。ストーマ装具は「ホリスター社」の製品で、これで良かったら申請するとの事だった。翌11日(土)に、病棟に宅急便が届いた。「ストーマ・生活キット」のプレゼントだ。中には、カタログの他、ハサミやストーマ装具携帯用バッグなどが入っていた。ハサミは、ストーマ装具の天板を広げる為の道具であるが、入院中に数回使っただけで、その後は1回も使っていない。
 3月12日(日);17時頃ストーマ装具から僅かな尿漏れがあったので、ナースに交換してもらった。当日は、痛い所もなく、睡眠安定剤で11時過ぎには眠った。午前2時半頃、左脇腹が濡れているのに気が付いた。寝汗位に安易に考えていたが、ストーマ装具からの尿漏れであった。ナースコールをし、ベッドのマット・布団を全て交換してもらった。午前3時の大騒動であった。交換して半日で漏れたのは、私のせいだった。夕方の装具交換時に、装具の周りの布の接着剤は温めたが、真ん中にある天板の土手の部分の圧着と温めが不十分であった為だ。
 第3週:3月13日(月)の朝の回診で、医師が左のステントを引っ張った所、簡単に抜けた。右のステントも抜こうとしたが、抜けなかった。その日の11頃に吐気が始まった。昼食は抜き、食後の薬・ビオフェルミンを口に入れた時、酸っぱく感じ、吐いた。朝食が消化せずに残っていた。医者の往診後、車椅子でレントゲン室に行った。少し食べた夕食にも吐き、翌朝は左横腹が痛んだ。超音波診断の結果は、「水腎」との事であった。左のステントを抜いた為に、腎臓からの尿の流れが悪くなり、腎臓に水が溜る症状との事だ。結局、13日の昼食から14日の朝食まで、3食抜く事になった。
 3月15日(水)の朝の回診でも、右のステントも抜こうとしたが、少し動かしただけでは抜けなかった。翌16日(木)の朝の回診でも、右のステントは抜けなかった。午前中に、いつもと違うレントゲン室に行き、医師がレントゲン画像を見ながら右のステントを動かしたが、抜けなかった。これは透視レントゲンと言い、弱い放射線で、金属のステントを見ながら処置を行える機器だ。初めて見た。医師から「尿管と回腸を縫合した糸が溶ければ抜ける。最大6ヶ月だ!」と言われた。
 第3週は主に、ストーマ装具交換の練習の週で、上手になれば来週退院となるらしい。午後に、栄養指導士が来てくれた。家内が腸閉塞を心配していたからだ。食物繊維は水溶性であっても少しずつ食べる必要があるそうだ。あるお婆さんの場合、腸閉塞でお腹を切ったら切昆布が大量に詰まっていたなどの例を聞いた。その後、16日の朝の回診でも右のステントは抜けなかった。午後にストーマ交換の練習を行った。今日からは、退院後も使う「ワンピース型」の装具となった。椅子を2個並べて、一方にお湯を入れた洗面器・剥離剤・ボディーソープ、ワンウェイガーゼを揃え、もう一方の椅子に座り、付いていた装具を剥がし、皮膚の清浄と乾燥、装具の交換、装具の圧着・保温までを行った。今日からのストーマ装具はワンピースなので、残った右のステントは、装具交換時にしか、抜けない。
 第4週:3月20日(月)の朝の回診で「23日(木)退院」と決まった。退院の日には、息子が会社を休んで、自宅のアクアで迎えに来てくれることになった。22日(水)10時過ぎに、ストーマ交換を行った。ストーマが剥がれた時に、医師が呼ばれて、ステントを抜いてもらった。今回はスンナリと抜けた。しかし、12時頃から右の腎臓の痛みと吐気があり、昼食は食べられなかった。夕方には吐気止めの座薬をお願いして、夕食は軽めに食べた。
 23日(木)退院予定の日:朝5時半頃に目覚めたので、荷物のまとめ等、退院の準備をしていたら、気持ちが悪くなった。朝の回診時には、微熱もあり、「本日の退院は延期」となった。朝・昼食は食べられず、夕方には一時38度2分の熱もあった。
25日(土)の朝5時半に目覚めた時、38℃あったが、朝の検温時には37.4℃となった。午後早々に担当医の診察があり、「熱が高いのは水腎のせい、軽い腎盂腎炎」と診断された。このまま様子を見て、平熱になれば、「27日(月)退院」と決まった。
 3月26日(日);朝から37℃前後の熱があり、看護師に聞いた所、今まで38℃を越えなければ退院した例があるとの話だった。
27日(月)退院の日、また、延期になる可能性もあるし、息子は休暇が取りにくいと事で、タクシーで帰宅する事になっていた。10時半に家内と荷物をいっぱい持って、タクシー乗り場に向かった。病棟で、「長い間のお世話になりました。」とお礼を言って、エレベータに向かった。1人の看護師さんが付き添ってくれて、荷物を2個持ってくれた。当日は、小雨模様でうすら寒かった。家内が病院の文書課に、がん保険の証明書をもらいに行っている間、病院の二重扉の真ん中の空間で、6個の荷物を見張っていた。手術後の衰弱で50kgまで痩せた身には、寒さがこたえた。30分位、家内が戻るのを待って、タクシーに乗った。 横浜市青葉区の自宅まで、小1時間の間、聞き上手の運転手といろいろな話をした。覚えているのは「都心環状線は要らない」と「豊洲も築地も必要ない」との話だ。
私見1:都心環状は要らない。話題になっているのは、日本の道路の起点となっている日本橋の上に、高速道路がある事だ。何千憶円かで地下にする案もある。しかし、開通当初は、都心を横断するトラックなども使っていたが、その後、多くの環状道路が開通し、現在建設中の所もある。常に渋滞している都心環状線は要らない。その外側で一般道路に降ろし、高架部分は撤去し、地下部分は一般道路として開放すれば良い。
私見2:豊洲も築地も必要ない。豊洲の環境汚染は心配ないと思うが、日本の漁獲量は年々低下し、最盛期の60%位だろうか。近年、中国の大型漁船が日本の領海の外側で大量に漁獲し、マグロは小さい内に獲りツナ缶(猫のも)とされ、サンマもカツオも大きくなる前に獲られ、日本の近海には来なくなった。一方、流通革命も起こり、漁港→羽田→銀座のすし店など「なかおちルート」に変わりつつある。卸・仲卸業者も採算が取れず、後継ぎも無く、撤退が増えるであろう。そもそも、「2045年には、世界中で投棄されるプラスチック類で、海の魚が生きられなくなる」と言うサイエンス誌の論文も有るそうだ。

17. 退院後の生活
 退院時のタクシーでは、元気なふりをしていたが、1ヶ月ぶりに帰った我が家では、ぐったりしてしまった。でも、持ち帰った荷物を整理し、日頃家で使っていた物は元の場所に戻した。ベットサイドには、ウロバッグを吊るす金具を作った。私のベッドは、ニトリで4万円弱で購入した簡単な電動リクライニングで、両サイドに手すりが付いていた。その手すりに針金を巻き付け、ウロバッグを吊り下げた。
翌日は、1ヶ月ぶりに庭に出た。狭い庭の芝生には、幸いにして雑草がまだらだったので、安心した。小さいながらも種が落ちると始末が悪いので、丁寧に抜いた。
 退院後も体重も更に減少して、入院前から5~6kg減少して50kgを切っていた。3月30日は、立ちくらみする様な体調であったが、車を運転して区役所の生活支援センターに行き、障害者手帳の申請を行った。その後、ストーマ装具の販売店に、4~9月までの見積書を作ってもらい、支給申請を行った。また、ETC利用時の高速料金割引(半額)の手続き、自動車税の返還など、いろいろと面倒な手続きがあった。
 退院後も排便の問題(便意があっても出ず、漏れそうになって、やっと出る状態)は続いた。身体は骨と皮の状態で、便所に飛び込み、尾骶(びてい)骨を打ったらしい。車の運転では、座布団で尾骶骨が当らない様にして何とかなったが、隣町の開業医の待合室で長時間待つ時は、車に横になっていて携帯に呼んでもらった事もあった。
 退院後、半月位は衰弱が続いた様だったが、1ヶ月後位から回復に向かった。5月からは、コントラクト・ブリッジのサークルに参加し、6月からはスクエアダンスのサークルにも参加できる様になった。
 一方、障害者手帳の支給までには、2ケ月程掛った。どうやら、お役所仕事か?区が指定する医師の障害者認定に時間が掛かっていたらしい。その為、ストーマ装具が不足しても、販売店からの支給申請手続きができず、結局、販売店のご厚意で、一時、借用する形となった。


続きの「手術で体験した性のしくみ他」は、次編を参照ください。
http://kikyossya.at.webry.info/201708/article_1.html

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